年代別の歴代最強プレーヤー(1990年代)【記録で見る男子テニス】
- SENSUKE KURIYAMA

- 8月27日
- 読了時間: 7分
歴代最強のテニス選手を年代別で大研究!1990年代はサンプラスに王座が受け継がれていった時代です。他の面々にはアガシ、クーリエ、チャンといった新世代のアメリカ勢や、ムスター、ブルゲラといったクレー強者、イバニセビッチ、シュティヒといったビッグサーバー、そしてキャリア後半となるベッカー、エドバーグなど非常に個性的なプレーヤーが多い印象です。
(特集ページ:記録で見る男子テニス2024年版)1968年から2024年3月までのデータをQlik Senseアプリで分析しました。
※ データソースは「Huge Tennis Database」です。各種情報を参考にした独自集計のため、お楽しみの範囲ということでご了承ください。▼1990年代のサマリ
ATP記録データから1990年代(1990~1999)までのツアー記録を対象に絞り込みました。1,530名の選手が戦った1,636大会(74,044試合)の記録です。表1はタイトル数ランク上位10名のリストです。P.サンプラス、T.ムスター、A.アガシが上位3名となっています。4位以下は、M.チャン、B.ベッカー、G.イバニセビッチ、S.エドバーグ、J.クーリエ、Y.カフェルニコフ、M.シュティヒと並んでいます。
(表1:1990年代のプレーヤー)

▼各指標の上位選手(勝利数、勝率、タイトル数、グランドスラム勝利数)
表2は期間中にランキング10位以内に到達した選手の上位に絞り込んでいます。タイトル数の多い順に並べ替え、各指標のトップ3に色を付けています。この表を見るだけでもP.サンプラスの強さを感じることができますが各指標について見ていきましょう。
(表2:1990年代のタイトル数1位はング)

<タイトル数>
P.サンプラスが62勝で1位、T.ムスターが39勝で2位、A.アガシが36勝で3位です。次点に31勝のM.チャンがいます。
<勝利数>
P.サンプラスが630勝で1位、M.チャンが521勝で2位、G.イバニセビッチが514勝で3位です。2位のM.チャンは「1位になれなかった名選手」でも取り上げましたが、本当に少し時代が違えば史上唯一となるアジアルーツのNO.1プレーヤーも実現していたかもしれません。また、3位のG.イバニセビッチも「芝の最強王者は?」の記事内にあるように、ウィンブルドンタイトルをサンプラスに2度阻まれており、サンプラスの絶望的な存在感が想像されます。
グランドスラムでの勝利数でも1位はP.サンプラスの157勝です。2位がA.アガシの119勝、3位はJ.クーリエの112勝ですが、この3名はIMGアカデミーの前身となるニック・ボロテリー・テニスアカデミー出身ということでも有名で、それぞれが圧倒的な個性を持っていたこともあり当時からよく対比されていたように思います。何か感慨深いですね。
<勝率>
ここでも1位はP.サンプラス、.811です。2位はA.アガシの.774、3位はB.ベッカーの.745です。ニック・ボロテリーは一時期ベッカーのコーチに付いていたので90年代におけるボロテリーの貢献はものすごいです。
▼1990年代の移り変わり:ピート・サンプラス vs ライバルたち
1990年代のサンプラスは「勝利数」「タイトル数」「勝率」「グランドスラム勝利数」以外にも、「サービスエース数」はイバニセビッチの8,556本に続く2位6,802本です。「サーブポイント数」では53,407と次点のイバニセビッチの50,467本を上回り1位です。これらの数値が語るサンプラスの絶対的な強さを「勝利数のトレンド」により確認してみました。
(※各チャートとも傾向をより掴みやすくするために1980年代から1999年までを表示しています)
<ニック・ボロテリーアカデミー:サンプラス vs アガシ vs クーリエ>
アガシが少し先行して1986年から1988年にかけて上昇していますが、その後に伸び悩み1988年から1990年にかけて同じタイミングで上昇してきたサンプラスとクーリエに抜かれた構図となっています。そして、クーリエが下降トレンドに入った1992~1993年にサンプラスは最高潮を迎えます。1993年の年間85勝をピークに下降していくも1998年までは60勝以上のラインをキープしています。そして、サンプラスの終息に合わせるようにアガシが復活し、このあと2000年代前半まで息の長い活躍を続けます。
こうして見ると、サンプラスのピークがきれいに1990年代の10年間に収まっており、まさに時代の王者としてふさわしい活躍だったことが分かります。
(表3:サンプラス+アガシ、クーリエの勝利数トレンド)

<時代の変わり目:サンプラス vs エドバーグ vs ベッカー>
表4は1980年代後半にピークを迎えた2名のレジェンドとの比較チャートです。ともにライバルとしてうたわれたB.ベッカーとS.エドバーグは1985年から1986年にかけてピークを迎え、サンプラスの台頭とともに緩やかに下降しており、王者の地位が受け継がれていった様子が伺えます。
(表4:サンプラス+エドバーグ、ベッカーの勝利数トレンド)

<1位になれなかった男たち:サンプラス vs チャン vs シュティヒ vs イバニセビッチ>
サンプラスに1位を阻まれ続けたチャン、シュティヒ、イバニセビッチらと比較すると、トレンドがほぼサンプラスの山の中にきれいに収まっていることが見て取れます。あらためてサンプラスが彼らの1位の壁だったことが想像できます。(※あわせて読みたい:1位になれなかった名選手)
(表5:サンプラス+チャン、シュティヒ、イバニセビッチの勝利数トレンド)

<芝 vs クレー:サンプラス vs ムスター>
最後に1990年代のタイトル数2位のT.ムスターとの比較です。1984年から1995年まで10年以上かけてじわじわとピークへ向かい、ピーク以降は急降下という特徴が見て取れます。ムスターがピークを迎えた1995年時で27₋28歳と他のチャンピオンに比べて遅咲きでしたが、年間86勝という数字はサンプラスのピーク時(1993年85勝)をも上回っています。
(表5:サンプラス+ムスターの勝利数トレンド)

▼1990年代のATPランキング1位在位週
年代ごとの最強プレーヤーを語る上で各年代でランキングNO.1であったことは非常に大きな指標となります。表6をご確認ください。
1990年代にNO.1になったのは、P.サンプラス、S.エドバーグ、J.クーリエ、A.アガシ、I.レンドル、B.ベッカー、Y.カフェルニコフ、M.リオス、C.モヤ、P.ラフターの11名です。期間中のNO.1在位週は、P.サンプラス275週、S.エドバーグ71週、J.クーリエ58週、A.アガシ51週、I.レンドル32週、B.ベッカー12週と続いています。
(表6:1990年代、ランキング3位以内のプレーヤー)

<1990年代のランキング推移①:10週おきの10年トレンド>
では、1990年代NO.1プレーヤーのランキング推移を見てみましょう。表7で確認してみました。ランキングデータは週ごとの更新となるため、10年分を表示すると一目でトレンドが辿れませんので10週おきに絞り込みました。1位の座は1980年をリードしたI.レンドルから90年夏にはS.エドバーグ、B.ベッカー、そして92年から93年にかけてJ.クーリエに移り、93年後半くらいからP.サンプラスが出てきます。95年にA.アガシやT.ムスターに1位の座を渡しますが、96年から98年頃(1996/4/15~19980323)までのおよそ2年間は連続1位をキープします。98年から99年以降にかけて次世代の混戦期に突入していきます。
(表7:1990年代、NO.1プレーヤーのランキングの移り変わり/10週ごと)

<1990年代のランキング推移②:1998年、P.サンプラスとM.リオス>
(表8:1998年、NO.1プレーヤーのランキングの移り変わり)
サンプラスのキャリア後半に差しかかった1998年はM.リオスが1位に割って入りました。サンプラスの連続1位在位にストップをかけたリオスですが、1999年に入り急降下してしまいます。

<1990年代のランキング推移③:混乱の1999年>
(表9:1999年、NO.1プレーヤーのランキングの移り変わり)
1999年はサンプラスが完全に1位の座を明け渡す9月6日にかけて、月替わりで1位の座が変わります。3月15日から2週にわたりC.モヤ、5月3日からの6週はY.カフェルニコフ、7月5日から3週はA.アガシ、7月26日にP.ラフター、そして9月13日から復活のA.アガシが混乱期に一定の終止符を打っています。

▼1990年代の最強プレーヤー
1990年代の最強プレーヤーは「ピート・サンプラス」で異論はないと思います。この10年はエドバーグ&ベッカーから、アガシ&クーリエ&サンプラスにタレントが移り、後半は稀に見る混乱期を復活したアガシが締めるという非常にドラマチックな10年だったように思います。
以上






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